予言の子
突然、この部屋にいる誰のでもない声が聞こえた。年老いたしわがれた声だ。だけど、どこか禍々しさが秘めた邪悪な声音だ。
「予言の子ルシーダよ。王宮に戻ったな。これから三年の間にこのベツヘルム王家は存亡の危機に陥る」
今までどこにいたのか私のすぐ横に長い白髪がかろうじて灰色のフードから見える老人がたっている。男か女かも分からない。
「王国の命運をかけた戦いの折、先陣としてベツヘルム王家の長子をたてよ。さすれば、ベツヘルム王家は更なる繁栄が約束されよう。もし、違えば……」
老人の禍々しい言葉をさえぎったのは、ミシェーラだった。長剣を鞘から抜き取り、老人に切りかかる。
「世迷言を! ベツヘルム王家に仇名す邪悪なる魔の使徒よ!!」
老人はまったく動いた気配がないのに、次の瞬間には国王の隣に移動していた。怪しげな魔術の使い手のようだ。
「そういきり立つな若者。我はエイビス王のためを思って進言しに来たのだからな」
「去れ、魔術師」
エイビス王が短く命ずると、ひきつるような奇妙な笑いをした後、老人はそのまま姿が消えてなくなっていった。私は、その笑いと怪しい魔術の使い方に背筋が寒くなるのを感じた。
そのまま取り繕うように私は王の私室を辞去した。
そうか、私が呼び戻されたのはあの魔術師の予言を信じた国王の命令なのだ。
『先陣としてベツヘルム王家の長子をたてよ』
私は、半分しか血を継いでいないとはいえ、エイビス王の長子だ。だから、私をあわてて呼び戻し、先陣に立てられるぐらいの武術と帝王学を学ばせようとしたのか。
私は首を振って悪い考えを追い出そうとした。
どこの王国だって綺麗な王家というものはないものだ。こうして飢える心配がないという生活が保障されただけでもあの怪しい魔術師に感謝しなければならないのかもしれない。
「うわ……クラヴィだ。クラヴィしか置いてない部屋……?」
私はその城の中にしては小さめの部屋に足を踏み入れた。中には誰もいなくて、ぽつんとクラヴィだけがおいてある。私はクラヴィの前のいすに座り、鍵盤に手を置いた。ぽん、と右手の人差し指で鍵盤をはじく。軽い澄んだ音がして、このクラヴィがちゃんと人の手によって管理されているのが分かる。私は、深く息を吸って、同じように深く吐き出してからクラヴィを奏ではじめた。
私の大好きな曲、偉大なるクラヴィの演奏家であり作曲家であったシュザンテが作曲した「愛の喜び」だ。軽快な音階に、楽しくなるようなリズム。貴族の末席に連なるものとして、たしなみ程度にクラヴィを勉強したのだけれど、私はこの曲を演奏するのが大好きだ。クラヴィを教えてくれた師匠が、この曲を演奏するときには大好きな人を思い浮かべて、その人に聞かせるつもりで引きなさい、といっていた。今も昔も、思い浮かべるのは育ててくれた親なのだけれど、いつか、好きな人のために奏でることがあるのだろうか。
低音部の長音でこの曲は終わる。私が鍵盤から手を話すと、部屋の入り口から気取ったような拍手が聞こえた。
私の身長だとクラヴィの陰に隠れて、部屋の入り口に立っている人が見えない。
「僕以外に、この部屋でクラヴィを演奏する人がいたなんて、知らなかったな」
ゆっくりとした足音と共に、男の子にしては高くて少し甘い声がする。
「あれ? 見たことない娘だね。誰?」
クラヴィのすぐ横まで来たのは、目が覚めるような美少年だ。栗色の髪の毛に、同じ瞳の色。パッチリとした目が零れ落ちそうだ。唇の色は桜色で、微笑を浮かべていた。
「私は……ルシーダ」