憧れの英雄

 私はすっかり冷えた卵液に大匙一杯分の水を入れて、今度は手で泡だて器を持ってかき混ぜる。程よくかきまざったら、小麦粉を篩いながら入れて今度はそこのほうから掬い上げるように小麦粉を混ぜ込む。最後に、溶かしバターを三回に分けて入れる。このときはバターの筋が残るぐらいにざっと混ぜるのがポイントだ。
 あらかじめバターを塗っておいた丸型に生地を流しいれて、表面を均した後、霧吹きで表面を軽くぬらす。そして熱してある窯に鉄板の上においた丸型ごとそっといれる。この窯も魔法のアイテムが埋め込まれているのか火加減の調整が魔力でしやすくなっている。釜の中の温度は二百度に保つのがおいしく焼けるコツだ。
「焼きあがるまでに、簡単に歴史のおさらいをしましょうか」
「……ミシェーラからさっそく聞いたのね」
「まさか、あのラカシス閣下のことをご存じないとは……。ところで、ラカシス閣下にはお会いしたことはあります?」
「ないです」
「まあ、そうですよね。ラカシス閣下は宮廷筆頭魔術師で、文献でしか見れないような高度な魔術を自由自在に操る天才魔術師です。パルマローザ領主夫人です。堅苦しいことは嫌いなようで領地での仕事をしていることが多いですね。もしくは、大陸放浪とか」
「そんなんで、宮廷魔術師になれるの?」
「彼女は特別です。ちゃんと宮廷の仕事もされてますよ」
 どんな仕事してるんだろう。もしかして魂だけ宮廷に持ってきちゃって仕事してるとか? そんな、ホラーな。
「ラカシス閣下は幼い頃からその天才振りを発揮していて、そっちの道ではかなり有名だったようです。ただ、性格に難あり……と申しますか、生まれながらの貴族なのでわがまま、といいますかとにかく、世間を見て来い、と家から追い出され世界放浪の旅に出たのがきっかけで、闇の生き物たちをよみがえらせようとしていた魔術師の企てに気がつき、それを退治したというわけです。その魔術師の企てのおかげで二十三年前はこのベツヘルム王国も戦に参加しました」
「そのときに行ったのが、魔術師の迷宮?」
「ええ、永遠に続くかと思われた闇の生物と、人間の連合軍との戦いに終止符を打ったのは、根源を立つという名目で魔術師の懐に飛び込んだラカシス閣下一行です。百の迷宮といわれ、帰還不可能と歌われたダンジョンを攻略し魔術師を滅ぼしたのですから」
「すごい、吟遊詩人の英雄の歌のようね」
「まったくです。そして、ラカシス閣下は生還され宮廷魔術師としての地位を得た、というわけです。生ける英雄ですね」
 あまりにも嬉しそうに話すライアに私は質問をしてみた。
「ライアはラカシスが好きなのね」
「は? え……えっと……私はっ……その、臣下として尊敬申し上げてて……そのぅ」
 珍しい。あの冷静なライアがほほを赤らめて、あわてて否定している。超絶美形がほほを赤らめるなんて、なんともかわいらしい。
 ケーキにも火が通ってきたのか、甘いいい匂いをかすかに感じる。
「憧れですよ……あの方は本当に素晴らしい。……小さい頃寝物語に聞いた英雄と同じ職場かと思うと……動悸が激しくなります」
 それは、別の病気じゃないだろうか。

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