コンプレックス

 ナトゥラムに引っ張られるようにして広間を後にする。なんだかよく領らないうちに陛下と母上に挨拶まで済まして廊下に出てきた。
 ナトゥラムは薄暗い廊下に出ると、私の手首を押さえていた手を離して隣に並んで歩き出した。
「あのセイの顔、おかしかったな」
 ナトゥラムはよっぽどおかしかったのか、肩を震わせて笑っている。セイは、ナトゥラムに出し抜かれた状態であり、出し抜いた側からしてみれば笑いが止まらない状況下もしれない。だけれど、あれは完全に怒ってましたよ。しかも、私に対して。
 あの、日ごろ温和しいセイが怒ったらなんてことになるか。想像するだに恐ろしい。
 私がナトゥラムになにか言い返してやろうと思っていたら、前方から女の子のか細い悲鳴交じりの声が聞こえる。遠くてわからないのだけれど、人影が二つ言い争うように対峙していた。
 私は、ナトゥラムが止めるのも聞かず小走りでその人影に近づいた。私の耳が衰えていなければ、そのか細い悲鳴交じりの声をあげた人は、私の友人だ。
 ここにいるとは思えないのだけれど、実家は貴族の家柄だといっていたから何かの関係で宮廷に来ていたのかもしれない。
「ネリー?」
 私は人影に向かって声をかけた。壁際に追い込まれているほうが私の声に反応してこちらに顔を向けた。月明かりに照らされた顔は、怒っているのか興奮しているのかほんのり頬が上気している。
 髪の色は、濃い金色。慥か自分以外家族みんな薄い金髪の色だったので、髪の色を気にしていたような気がする。一人だけ、美人じゃないとかいっていたかな。そんなことないのに。
「……ルシーダ」
 桜色の朱唇から零れ落ちるようにつぶやかれた、私の名前。その声は、やっぱりネリーだ。
「おや、……誰かと思えば麗しき内親王殿下」
 ネリーを押さえつけている男が、馴れ馴れしそうに声をかけてきた。小麦色の皮膚に、濃い茶色の髪の色。典型的な砂漠の民の特徴だ。右手の小指に家紋入りの指輪をつけているので、貴族だというのは分かる。年齢は、ナトゥラムと同じぐらいか。
「その手を離しなさい」
 私はここぞ、とばかりに内親王という名前の威力を使うことにした。向こうは私の身分に気がついているのだから、温和しく言うことを聞いてくれると思うのだけれど。
「逢引の最中なんですから、邪魔しないでいただけますか?」
 男はいけしゃあしゃあと、言い放ちネリーを引き寄せる。ネリーは男の手から逃れようと抵抗するが力で負けるため離れることができない。
「嫌がっているように見えるわ」
「嫌がっていても、このブレスレットがついている限りお客は取るのだろう?」
 よりによって、ネリーの格好は高級娼婦の格好だ。手首に金色のブレスレットをしていてそのブレスレットにはお客を取っている証の薔薇の紋章と、娼館のマークが彫られていた。
「では、あなたのいい値を言いなさい」
「そういうのは、すべて終わってから値段を決めるもんだろ?」
 この貴族のバカ息子め。お前の頭の中には快楽しかないのか!
「でも、最低の料金というのは決めたんでしょ?」
「……五百ロニー」
「倍額の千ロニーを出すわ。さ、離しなさい」
「千五百ロニー払うね。この女ならその価値がある」
 どうしてかこいつ、ネリーにものすごく執着があるみたいだ。
「いい加減にしたら如何だ? フォスフォリカ卿」

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