私はライアを呼ぶと隣室で控えていたのか、すぐに返事があり執務室に入ってきた。
「明日の予定に、海上視察というのを入れられる?」
「どのくらいのお時間ですか?」
「三時間ほど。お忍びってことをロマディ総督に伝えてほしいの」
「視察に行くメンバーはどういたしますか」
「そうね……私の予想通りならすこし厄介なことになるから、少数精鋭で護衛をお願い。ナトゥラムは連れて行けないわ。彼にはやってもらいたいことがあるし。パルを連れて行こうかしら。適役だと思う」
「では、パルサティラ卿と護衛用の兵士を数名、明日待機させます」
「船も用意させてね。小型でも良いから足の速い船をお願い」
「かしこまりました」
ライアはオフホワイトのマントを着用できるだけあって、優秀な文官だ。彼に教わったことはすべてこのマロウを治めるために必要な知識だったのだと思う。行政のことに限らず、軍事にも長けているライアから様々なことを学べたことぐらいは主神であるユーフレイジアに感謝してもいいかもしれない。
夕食が終わり、そろそろ入浴でもしようかと思っていたころ自室の扉がノックされた。私室にいるときには、直接私が出るのではなく侍女のエヴドキーヤがでてくれる。エヴドキーヤという名前はベツヘルムでは慣れない発音なので、名前を呼ぶときにいつも正確に呼べているのか気になるのだが、エヴドキーヤは気にしていません、と答える。知識でしか知らない白い雪を思わせる肌と、薄い金髪が彼女が北の国、キエフ帝国の出身だと語っている。
キエフ帝国は比較的安定した治世だと私は聞いている。エヴドキーヤにそれとなく国を出てきた理由を聞いたら、年の半分以上が『雪』で埋もれる世界に飽きたのだそうだ。この国の砂漠がとても珍しいと言っていた。
私にしてみたら、『雪』は知識でしか知らない世界で、エヴドキーヤにどういうものか聞いてみたら儚くて美しいけれど憎いものだと文学的に返されてしまった。
「失礼します。セイ・アラニカ卿がどうしてもお会いしたいといらしています」
相当勉強しただろう、エヴドキーヤの発音するベツヘルム語は標準的な発音でなまりがない。最初はベツヘルム出身のキエフ人だと思っていた。
「隣の応接室へお通ししてくれる? それと、お茶の用意も」
「かしこまりました」
私はやれやれ、と思いながら隣部屋になっている応接室へと足を運んだ。用件は今日頼んだ仕事の報告だろう。
「ごきげんよう、殿下」
セイが一礼すると甘い香水のにおいがした。最近女官たちの間ではやっている香水の匂いだ。
「ごきげんよう、ますます盛んなようね、セイ」
私がにやりと笑うとセイは人が悪いな、と苦笑する。匂いが写るほど女官に接近を許したままこの部屋に来るからだ。
私はセイにソファに座るように合図して、私も向かい側に座った。ちょうどいいタイミングでエヴドキーヤがお茶を運んできた。
「ありがとう。君の入れるお茶はいつもおいしいよ。……まるで君のように」
エヴドキーヤがセイの前にお茶を置くと、わざわざ彼女を見上げてセイは言った。その言葉にエヴドキーヤがほほをほんのりと染め上げる。
「セイ、うちの侍女に無理やり手を出したらそれ相応の覚悟をしてもらうよ?」
「無理やりじゃなかったらいいの?」
「いいけど……なぜそこで私に聞き返すの?」
きょとん、とした表情で私が聞き返したのでセイは鈍いな、と呟いてため息をついた。
「殿下は僕が他の女の子とそういう関係になっても焼きもちすらやいてくれないんだね?」
儚げな容姿で、弱々しくセイは呟いた。なんか、まるでこっちが苛めているみたいだ。今にも倒れそう。
「焼きもちって……だって、セイと私はそういう関係じゃないでしょ?! あんまりそういうこと言っていると、本気になった相手に冗談だと思われちゃうよ?」
といっても、セイの場合家の事情や将来のことを考えると私と結婚したほうが得なのだから、気を引こうと毎日口説いているのだろう。
「殿下に本気なんだけど」