セイは黙ったまま演奏を続ける。もしかして、切なく聞こえるのは私が落ち込んでいる所為?
 一曲引き終わって、セイが私のいるほうへ視線を向けた。
「なんで、泣きそうなの?」
「君が?」
「違う、曲が」
「演奏者の気分を反映してるってよく言うけど……。聞く人の気持ちも反映してるんじゃないかな」
 手のひらに雫が落ちた。
 いつの間にか、私は涙が零れ落ちていたようだ。人前じゃ泣けないのに、なんで気がついたら泣いているんだろう。
「バカ」
「うん」
「バカ」
「うん」
「悲しい曲を弾くから、私まで……」
 八つ当たりだ、て分かっている。自分が何に悩んでいるのか、処刑にサインするのが怖いのか、命が狙われることが怖いのか、手が血に汚れるのが悲しいのか、人を簡単に殺せるのが切ないのかもう、よく分からない。すべてのことが混沌となって、私の中で再生される。
 立っていられなくて、私は床に座った。両手で顔を覆う。嗚咽を唇でかみ殺していたら、がたんとイスを引く音がして、足音が私に近づいてきた。衣擦れの音がして、後背に暖かい体温を感じた。びっくりして泣いた顔のままで顔を上げて振り返ると、背中合わせにセイが座っていた。
「泣き止むまで、ここにいるよ。泣き顔を見ないために。泣き顔って人に見られるのはイヤだけど、こんな広いところで一人で泣いていたらますますつらくなると思うよ」
 抱きしめて慰めるでなく、背中合わせに座ってくれるセイの体温が暖かくてうれしいと思った。抱きしめられたら、女扱いされていると思って嫌悪感が生まれると思う。セイは家のためにそうするように言われているだろうけど、私にはその気はない。私の心情なんてどうでもいいはずなのに、それを尊重してくれるセイがいる。
「……僕がいるから、世界で一人だとは思わないで」
 呟く言葉に、私はあれ? と思った。私は別に孤独をさびしいと感じているわけではない。周囲の期待に答えるために孤独だと思うのは、仕方がないことだと思う。私は、私のほかにはなれないし、ライアだってライアにしかなれないし、ミシェーラもミシェーラにしかなれない。結局みんな、孤独なんだけれどだから個人と個人のつながりが欲しいんじゃないかと思う。それが、友情という名前だったり、主従という名前だったり、恋人という名前だったりするんじゃないかな。
 ああ、そっか。セイは無意識に自分が一番欲しい言葉を私に対する慰めの言葉として口に乗せたんだ。
「……あのね」
 背後でセイが頷いたのがわかる。
「アラニカは一人じゃないよ。今は、私がいる」
 セイの後背がびくっとゆれて、セイは額を膝の上につけた。
「ありがと」
 呟かれる言葉が、情感に揺れていたのは私だけの秘密にしておこう。


 半刻ほど過ぎて、どちらが言いだしたわけでもなく私とセイは立ち上がってクラヴィの部屋を出て行った。長い長い回廊を歩きながら、ぐうとお腹が鳴ったのをセイに聞かれた。セイはクスクス笑って楽しそうに私を見つめる。
「お腹すいたんだから、仕方ないでしょ〜!」
「何も言ってないよ」
 セイの声からはさっきの情感に揺れていた声ではなくて、楽しそうに私をからかう響きを感じる。もう、と私がほほを膨らませて前方を見ると私の部屋の前で、リコリスが佇んでいる。
 しまった。なんか重要な書類の処理があったのかもしれない。
「リコリス、ごめんなさい。なにか緊急の用件?」
「殿下……その……」
 珍しくリコリスは言いずらそうに言葉を濁した。私は大して気にもせず、部屋の扉を開けた。私の私室と執務室を繋ぐ控え室になっているのだが、そこにはナトゥラム、パル、ライア、ミシェーラ、ミズライルが思い思いの格好で待ち構えていた。
 私は、それをみて顔が引きつるのを感じた。
 なにかやらかしたんだろうか……。
「ああ、殿下。お帰りなさいまし」
 エヴトキーヤがタイミングよく部屋に備え付けのミニキッチンで紅茶を入れて持ってきた。
「みなさん、殿下のことがご心配で集まられたみたいですよ」
 え?
 心配?
 私がみんなに視線を向けると、恥ずかしそうに視線をそらす者、にこにこと何を考えているのか分からない笑顔を浮かべる者がいる。
 私は自然に顔がほころんだ。

next