マロウの休日

 奏でられている陽気な音楽に合わせて、見物している人たちも手拍子でリズムをとっている。私もそれにあわせてリズムを奏で始めた。
 この歌は遠いまだ見ぬ故郷を歌った旅人の唄だ。歌詞は切ないのに陽気に歌い飛ばすそのロマの考え方が私は好きだ。つらいときこそ前向きに生きていこうというのはとても難しくて、だけど素敵なことだと思う。
 アリフが私のことを不思議なものでも見るかのようにじっと見つめている。
 あれ? なんかやらかしちゃったかな……。
「こういうの好きなんだ……」
 私への質問ではなくて、自分に納得させているような言い方。あ、しまった。お嬢様はロマとか知らないはずなのかも。
 アリフと視線があうと、彼は心の底から楽しそうに笑って私の手を引いた。
「行こうぜ、最高の場所に連れて行ってやるよ」
 アリフに引っ張られるようにして、ロマの歌と踊りに別れを告げる。港の市場を歩いているときも、アリフは手を離してくれない。やがて、丘へと続く道の前までやってきた。そこはさっき通った道ではなくて、細くてほとんど階段で構成されている。ここを階段で上るのは大変そうだ。
 私は青い空まで続く長くて白い階段を見上げて思った。
「ちょっとしんどいけど、絶対最高だから」
 にっこり笑う顔は、少年のようで、だから私はアリフを憎めない。お互い手をつないだまま長く続く階段の一歩目に足を置いた。一定のリズムで上ると、嫌なこととか全部消化されてしまいそうだ。
「ほんと、変わってるよな」
「なにが?」
「お前だよ。お前」
「私?」
 急激な傾斜になっているため、少し階段を上っただけでも額から汗が一筋流れ落ちた。
「俺の『姫様』像を叩き壊してくれる」
「それは……悪いことしちゃったかな?」
 ほら、小さい頃願ったでしょ。英雄になって、囚われのお姫様を助けにいくと。童話に出てくるお姫様は、どれもお淑やかで、美人で、優雅で、付け焼刃の私とは全然違う。
 アリフの顔をのぞき見ると、アリフははじかれたように笑った。
「なによ」
「なんでもねぇって! ……そのままで、いてくれよ」
 最後のほうの言葉は、小さい声で呟かれた。それがやけに真摯な声で、私が階段に向けていた視線をもう一度アリフに向けても、すでにその顔は陽気に笑っていた。あと数十段で丘の上というところで、アリフが足を止めた。
「いいか、ここでそっと振り返るんだ」
 私はずっとアリフとつないでいた手を離して、ゆっくりと振り返った。
「おおうっ」
「お姫さんが、『おおう』なんていうとはな」
 すっかりお嬢様としての礼儀を忘れて、私は本気で驚いた。ここからだと、青い海も空も、彼方を行く船も、市場でにぎわっている港も、総督府へと続く大通りも全部見える。
「ここはちょうど、大きな建物が周囲にないからマロウの街を一望できるんだ。丘の上野公園だってこうはいかないぜ」
「素敵! すごい、アリフ」
 私が感激してアリフに笑顔を見せると、アリフは照れたように笑って目線をそらした。おや? アリフでも顔を紅くすることがあるんだ。
 わずかに紅く染まるアリフの頬を確かめて、私はくすくすと笑った。複雑なようでいて、意外なところで単純なんだ。
 そのあとはまた、長い階段を下りて町並みを見たり、市場で買い物をしたりと本当に、飽きなかった。なんだか、昔に戻ったみたいだ。王宮に戻る前は、こうやって王都フェンネルの市場に出て、食料品や、服やアクセサリーなんかを買っていたんだ。どのパンが同じ値段の中で一番大きいか、なんてじっくり見ながら決めていたし、二つ買うから安くして、とか貧乏暮らしの中にも、工夫をした生活をしていたんだ。
 沈み行く夕日を、今度は港の堤防に腰掛けながら見た。こんなに、太陽って綺麗だったんだとオレンジ色と薄い紫色に染まる空を見ながら思った。
「本当は、夜も一緒にいたいけど……そろそろ家まで送るよ」
「また、アリフはミシェーラ狙いなんでしょ。そんなこといっても何もでないよ」
 アリフの軽口を笑い飛ばしたけれど、アリフはなんだか複雑そうな表情をして私を見つめた。
「変なこといってねぇで。行くぞ」

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