胎動

 いつもより、数倍も優しい笑顔なのになんでこんなに背筋に悪寒を感じるのだろう。
 私はセイの笑顔をみてそう思った。セイはなぜか私の部屋の扉を開けて待ち構えている。私が部屋に入ったら、閉めて自分の部屋に戻ってくれるということはなさそうだ。正装をしているから、楽な服に着替えたいのだけれど、セイがいるのでそれもままならない。
「街の散策と……ライナス殿下に挨拶をしてきただけだよ」
 部屋に入り、長いマントだけははずしてエヴトキーヤに渡した。セイも一緒に部屋に入ってきてソファに腰掛けている。
「街の散策にずいぶん時間がかかったんじゃないの?」
「いろいろ見てきたから……」
 セイは、それでもじっと私の顔を見つめてくる。悪いことはしていないのだけれど、悪いことをしている気になってしまうのは何でだろう。セイの澄んだ眸がいけないんだ、きっと。
「ね、ルシーダ殿下」
 セイは立ち上がって、私の目の前に立つ。
 ちょ……ちょっと距離が近すぎるんじゃないの。
 セイは左手で、私の右ほほをなで上げて言った。
「今度は、僕がマロウを案内するよ」
 なで上げるセイの指先の熱に私は体がわずかに揺れた。息を飲み込む音が聞こえたのか、セイは満足そうにくすくす笑った。
「それじゃ、おやすみ」
 セイの後姿を眺めながら、私は赤く染まったほほを両手で押さえた。部屋の扉の前まで来て、セイは私のほうへ振り返り、くすっと笑って言った。
「いい夢を、殿下」
 あ……あいつ。私がほほを染めてわたわたしているのを楽しんでるだけなんだっ
 セイのバカっ


 翌朝は、ライナス殿下を連れてマロウを案内する日だ。ライナス殿下が学ばれるのは、王立の魔術学院だ。王都であるフェンネルにも魔術学院はあるが、どういうわけか弟であるサーデライン殿下も、父王もマロウの学校へと言っていた。
 昨日は、総督府に宿泊してもらったが今日からは、ライナス殿下にと割り当てた豪邸に移ってもらう。其方が、お互い気兼ねしない。
 朝の決議を終えて、私はライアに尋ねた。
「今日の天気は晴れ?」
「この空の様子ですと、しばらくは晴れのようです。ですが、彼らは別の港を襲ったようで当分はこちらに戻ってこないでしょう」
「次に港によるのはいつごろ?」
 私は、ライアに頼んで過去にマロウが海賊に襲撃された日を調べてもらった。船には十日分ぐらいの食料や水を積み込むようでその間に金品を奪うために別の港や船を襲撃しているようだ。当然、食料や水を積み込む港は襲わない。マロウに来るのは二十日間に一回。しかもよく晴れた日だ。
「今回は潮の流れの関係であと、一週間ぐらいで来るかもしれませんね」
 一週間後の天気は晴れ、そして季節の変わり目なので潮の流れが変わる前に一仕事しておくというのは船乗りの考えだ。
「一週間後に、マロウを行脚すると宣伝しておいてほしい」
「殿下自身が赴かれるのですか」
「そう。私が総督として正装してマロウを見回ろう。特に、海賊の被害にあった地域をね」
「囮になる気ですか!」
「私の護衛は、精鋭部隊ばかりを選び当日は、武装していないように見せかけると、ちょうどいいんじゃないかな」
「条件がございます」
 私の意志が固いとライアは思ったのだろう。黙ってうなずいて彼の言葉を待った。
「武官としての試験を受け、それに合格されたら囮になることを止めはいたしません」
「試験は誰が……?」
「ナトゥラムでちょうどいいでしょう。彼は王都でも武官候補生たちの試験監督をしていましたから」
 ナトゥラムが試験監督?!
 絶対、世の中間違ってるって……。
 だけれど、どっちみち、武官となって正式に弟の手伝いをしたいと思っているのだから、さっさと武官としての地位を手に入れてしまったほうがいいかもしれない。父王にだって認めてもらえるかもしれないのだから。
「わかった」
「期限は、準備を考えて三日の間に試験に受からないといけませんから」
「了解」
 厳しい期限だかしかたないだろう。実際、私が囮になった場合部隊の編成をしなおさなければならないだろうし、武器や防具の目隠しも準備しなければならない。妥当な期間だ。
 私だって、武官になろうと思って時間があればミシェーラやミズライルから剣の手ほどきを受けている。きっと大丈夫だとは思うけれど、試験監督がナトゥラムなら厳しそうだ。
 あいつ、容赦なさそうだし。

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