ふわり、なんて生易しいものではない。少なくとも三メートルは宙に浮いているだろう。トラップ発動ってこと?
 私が宙に浮いた状態で下を見ると、学生がにやり、と意地悪そうな笑みを浮かべている。周囲からも嘲笑が僅かに沸き起こる。
 ああ……魔力の無いものがひっかかるようになっているのか。
 私はまったく無いわけじゃないんだけど、それでもダメなのね。
「ルシーダ殿下を侮辱する気か!」
 私を護衛しているナトゥラム配下の兵士が、学生にまさに切りかからん勢いで詰問する。
「いえ……歴代の王族の方々はこのトラップには反応しませんでしたので……ルシーダ殿下には反応するということは……」
 魔術学校は、貴族の子息たちも通う学校だったっけ。小さいころから英才教育をしている所為か、一般の人々より貴族出身の魔術の使い手のほうが圧倒的に多い。王都フェンネルでの縮図がここでもできあがっているようだ。
 古くからの家柄に縛られた貴族たちは、私をまだ、受け入れてはいないのだ。
 とりあえず、宙吊りから直ろうと精神集中してみるが、高度を下げることすらできない。足に魔力を集中したのがいけないのかな。
「ルシーダ」
 やさしい声音で私に手を差し伸べたのは、ライナスだ。
 だけれど、私は高いところにいるため、ライナスの手をつかむことはできない。
「僕の手を掴むことをイメージしてください。そうすれば、降りることができますよ」
 私が魔力を集めてライナスの手を掴むことを想像しようとしたとき、突然体が硬直する。かろうじて眼下に写ったのは、学生がにやりといやな笑みを浮かべてこちらをみていること。そして、その手には僅かに光り輝く赤い石の指輪をはめていることだ。
 あれは、魔術の媒体じゃないの……!
 私が降りれないように呪文をかけたんだ。
「ルシーダ殿下、どうなさいました?」
 いけしゃあしゃあと、学生は私に尋ねる。唇すら動かせないのに、嫌味な奴。
「恐怖にすくんでおいでですか?」
 なんて悪意に満ちている所なんだろう。
 それほど、伝統は大事なものなのだろうか。
 私は、学生の左手にはめられている指輪の魔術の媒体さえどうにかすれば、降りられると思う。ライナス殿下は不思議顔でこちらを眺めているし、私の護衛たちも今は見上げて私を見ている。
 結局のところ、普段は私に従っている人たちだって、私に対して全面服従しているわけではない。大方ナトゥラムが温和しくしているから、従ってやっているんだというのが多いのだろう。
 私が唯一つかえる魔術は物体移動。しかも軽いものだけ。手で持ったことのあるもの以外は浮かせることすらできない。
 場所は廊下。廊下の壁には絵画が飾ってあるがそんな大きいものは動かせない。次に、台の上に乗せられている花瓶。花がいけてある。花瓶も重くてだめだ。
 魔術の媒体を破壊するには、よく切れる専用のナイフで切るか、媒体が抱えきれる以上の魔力を注ぎ込めばいいのだけれど、注ぎ込めるほど魔力があるなら私は今頃、宙には浮いていない。
 ナイフは……護身用に持っているが、飾りがたくさんついた、いかにもおもちゃですといわんばかりのナイフなのだけれど。
 なにもしないよりかはましか……。
 本当は、術者から切り離すのが一番なので指ごと切断してもいいのだけれど、さすがに私はそこまで非情じゃない。リングだけをうまく切り取れればいいのだけれど、早業でそこまでできない。できることといえば、宝石部分に傷をつけるぐらいか。傷が少しついただけでも、媒体の力が弱まることもあるし。
 ただ、問題は媒体の力を維持するにも多少の魔力を術者はつかっているのだが、その集中を無意識にできるほどレベルが高かったりすると、媒体を傷つけても意味は無い。
 ……学生だから、そこまでレベルが高くないと信じたいけれど、パルみたいな無茶苦茶な人もいたわけだし。
 私は狙いを定めて、腰に下げているナイフにわずかな魔力を送った。
 こんなことで、泣きが入ると思ったら大間違いだよ!
 私は少ない魔力を総動員して、ナイフ投げを想像しながら魔術を発動させた。
 かつん、と澄んだ音がして、空気のはじける音、それに続いてナイフが廊下に転がる音がした。いきなり、すべてが無くなって私は落下した。
 受身ととっても痣かな、とどこか遠くで自分を感じて着地のショックに耐えようと、おなかに力を入れてその瞬間を待った。

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