それでも、逃がしたくないものがあるから私は、恐怖をこらえる。
 小太刀を、ひげ面の男に振り下ろした。燥いた金属の音がして、もう一撃。ぐらり、と傾いた男の体の皮鎧のつなぎ目にむけて、左手に持つ小太刀を振るった。瞬間、血の匂いが鼻腔を埋める。
 地面に倒れこんだ男を目だけで追って、私は高らかに宣言した。
「ベツヘルム王国、マロウ自治区総督ルシーダ・ボリジだ。総督府は、海賊の横行を許さない。温和しく、縛につけ!」
 海賊たちの注意を、これで引ける。
 思ったとおり、海賊たちが家々の破壊から、自分たちを捕らえようとする兵士たちへと興味が移っていく。海賊船に乗っていた乗組員のほとんどが上陸したと思われる頃、あらかじめ、港で待機していた魔法部隊と合流する。魔法の援護をもらいながら、私たちはじりじりと海賊たちを海賊船の前まで追い詰めていった。
 海賊は、引き際をわきまえていた。すこしでも不利だとわかったとたん、くもの子を散らすように自分たちの船へと引き上げていく。船で逃げ切るつもりだ。私は、弓兵部隊に追い討ちをかけるように弓を撃たせた。それでも、船はなんとか出航していく。弓兵部隊の弓が届かなくなるところまで、海賊船が進んだ頃、その後に二隻の船が水面を軽やかに走りながら海賊船を追尾していく。
 青嵐団の船隠しに待機させておいた、ナトゥラムとパルの混合部隊、そして青嵐団の船だ。二隻の船はすぐさま海賊船に追いつき、接岸し海賊船へと次々に乗り込んでいく。
 やがて、船に火がつき燃え広がると二隻の船は反転し悠々と港へと帰ってきた。
 船から下りてきたナトゥラムとパルとアリフの姿を見て、私は無事だったことにほっとした。
 この戦いで海賊団は滅亡。海賊の船長を捕縛することができたので、彼はベツヘルム王国の法律に従って裁かれることとなった。


 海賊団討伐の事後処理が落ち着いてきた頃、私はひとつの大事な仕事をした。ロマディの死刑執行だ。ロマディは身分ある人物だったので、「自害」をすすめてはどうかと総督府会議で決まった。自害といっても、総督府高官たちのまえでの自害である。広間で私と、総督府の高官たちが見守る中で、ロマディは引き出されそこでワインに溶かした毒を飲まされた。
 毒を飲むことを拒否し、私に忠誠を誓うと命乞いをしたけれどそれを承服することはできなかった。法律を守る総督であることを信じて、海賊と戦ってくれた兵士たちのためにも、避難生活で不自由をさせたマロウに住む人々のためにも承服してはならなかったのだ。
「お疲れ様。プリンセス・ルシーダ」
 中庭でぼんやりしていた私に、総督府へ遊びにきていたライナスが優しい声で声をかけてきた。彼には詳しい事情は話してはいないが、すべてを知られてしまっているようだ。噴水のふちに腰掛けていた私の隣に音を立てずに座った。
「貴女は、とても優しいね。祖国にはそこまで優しい王族はいないよ」
「あなたは、そうではないの?」
 そういうと、ライナスは困ったようにちょっとだけ微笑んで子供をあやすように私の頭をなでた。
「僕がきっと、一番酷い」
 なぜ、とは声にできなかった。ルクセリアは跡継ぎ問題でごたごたしているとライアから報告をきいている。もしかしたら彼は、その問題から逃げてきたのかもしれないのだ。
「なにか、楽しい話でもしようか。……そうだ、僕の国には変わったお祭りがあって……」
 ライナスの声音は、砂のように燥いた気分だった私に水のようにしみこんでいく。その不思議な魅力のある声をずっと聞いていけたらいいのにと、どこかで思っていた。

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