それは、疑問というより断定に近くて「そんなわけあるか」と言おうとして、彼の視線が私からほんの少しずれたところで鋭く光っている。
「そんなんじゃ、ないってば」
「強気なところが、可愛いじゃないか……そのまま芝居を続けてろ」
 手を引かれて、体のバランスを崩してアリフに倒れ掛かると、アリフがそっと耳元でささやいた。
 やっぱり、何かあるんだ。先ほどの視線は、何かを見つけたんだ。
 私が何か言葉を続けようとしたときに、背後から冷たい声が聞こえた。
「アリフ、昼間から娘を囲うだなんていい身分だね?」
 背筋がひやっとするほど冷たく低い声だ。私は聴いたことのない人の声で、アリフには親しそうだ。水軍の誰かかと思ったが、アリフの体が緊張しているので水軍の兵士ではないようだ。
「俺を追ってここまできたんだ。情熱的だろう?」
 そのまま私を抱き寄せて、膝の上に座らせアリフの肩口に顔を埋めさせられる。後頭部をアリフの手で固定されているので、顔をあげることもできない。
 お前は、顔を見られるな、というアリフの真剣な声を耳元で聞いて、私はアリフに抱きついたままじっとしていることにした。
「お前が誰か一人の女に執着するわけでもなし……どこの妓楼の娘だ?」
「それは言えないな。俺のものにお前が触るのは許さない」
 低い声の男は軽快に笑った。
「いいだろう……ルクセリアはもうじき変わる。そのときにお前の手からもぎ取るとするよ」
 男が立ち去るまで私は顔をあげることができなかった。
 誰だろう、今のは。
 不穏当な発言をベツヘルム語で話すだなんて、よっぽど度胸があるのか頭が足りないのかのどちらかだ。ベツヘルム語は大陸公用語になっているので、ココに来る商人たちのほとんどは理解できる。
 たしかに、こんな酒場で話したことは嘘が八割と言われているから誰も信じないかもしれないが、私の肝は十分に冷えた。男の言葉に、八割本気が含まれていたからだ。
「もう、顔をあげていいぜ……いきなり悪かったな」
「いえ……もう、だいじょう……」
 大丈夫? と聞こうとしてアリフの顔が近いことに気がついた。
 さっきまでは、緊張でアリフの膝の上に座らされていることにもなんとも思わなかったが、いまでは身近に感じる自分以外の体温で急に羞恥心が沸いてきた。不自然にならないように立ち上がってアリフとの距離を広げたが、それがアリフの目には不自然に映ったらしい。また、にやりと笑われた。
 私は羞恥心で頬を赤くしながら、ことの詳細を問い詰めた。
「あの男は、ルクセリア王国出身で……自称革命家だ」
「革命?」
「ルクセリア王国の正義を正すとか言っていたな……とはいえ、密偵であることには変わりない。ああいう奴に顔を見られるのは得策じゃないからな」
「そいつはアリフに何を求めてるの?」
「ベツヘルムを裏切って、水軍ごと彼の味方につけとさ」
 私がその言葉に眉根を寄せたので、アリフは軽く笑い飛ばした。
「殿下が話を持ってくるより前からあいつには、ルクセリアにこいと言われていたけれど、いかなかったんだぜ? 俺はこの国が好きだ。美人が多いからな」
「マロウは?」
「マロウは、最高の美姫だね」
 マロウを守るためなら、協力するといったアリフらしい言葉だった。
 ミシェーラは、アリフがあの男とやり取りしている間、少しはなれたところで人の噂や、あの男の動向を探っていたみたいだ。やっぱり目下の噂はルクセリア国王ご病気と跡目問題が商人たちの気を引いているらしい。争いが起きれば、そっち方面での商売ができなくなるし、逆にそれにつけこんで何か商売できないかとも考えているみたいだ。
 さすが世界を渡り歩く商人だけあって肝が座っている。
「先ほどの男、ライナス殿下に仕える者らしく、彼の住まいへ戻って行きました」
「わかった。深追いはしないで」
「御意」
 確かに、留学だけしにきたわけではないと薄々は思っていたけれど、ベツヘルム王国の内情を探っているとわかってしまうのは悲しい。探っているということは、いずれ近いうちになんらかの攻勢をしかけてくるはずだからだ。
 しかも、密偵を装いながらルクセリア王国の革命を狙っている人がライナスの近くにいるということが引っかかる。ライナスを傀儡にして革命を狙っているのだろうか……。
「アリフ、変わった噂を聞いたら早めに知らせてほしい。すこしでも情報がほしいから」
「お安い御用だ。上等な酒を飲ませれば商人たちは口が軽くなるからな」
 私はアリフに俺を言って、銀の海亭を後にした。

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