泡沫の夢

 思いを自覚したからと言って、どうにかなるわけではなかった。それは、立場上どうすることもできないという理由もあったけれど、ライナスは明日には本国に帰るはずだ。跡継ぎ問題が解決したとしても、おそらく……二度とこちらにはこれないだろう。やはり、代が変われば妾腹の子とてそれなりに責任のある立場におかれることもある。
 もしかしたら、生きているうちには二度と会えないかもしれない。それが余計に私の気分をへこませる。
「殿下、どうしました?」
 いつものように、朝食が終わってエヴトキーヤにお茶を入れてもらっていたら、表情をあまり変化させないエヴトキーヤには珍しく眉を寄せて私に尋ねた。
「どうって?」
「お元気がないように思えましたから」
 自分の気持ちを表に出さないようにしてきたのだが、どういうわけかエヴトキーヤにはわかってしまったようだ。首を振って深呼吸をして、なんでもない、と答えた。
「あまりご無理をなさらないでくださいね」
 心配そうなエヴトキーヤに私は頷いた。
 今日、ライナスは本国に帰る支度と関係者に対して別れのあいさつ回りをするらしい。こういうときに、市民と違ってすぐに帰れないのが嫌なところだ。本当は、少しでも早くルクセリアに帰りたいと思っているはずなのに。
 ライアは、夕方ごろにライナスが総督府にお別れの挨拶にくると、教えてくれた。はやく会いたいような、会いたくないような不思議な気持ちで、その日を過ごした。正直に言えば、執務にはあまり手がつかず、気がつけば上の空のときがあった。
 ライナスが来た、と告げられたときには「はやい」とも「遅い」とも思った。なるべく平静を装ってライナスを執務室に通した。彼は、すでに略式ではあるけれどルクセリアの服を着ていた。それまでは、ベツヘルム風の服装を好んできていることがあったけれど、今は違った。
「お別れを言いに来ました」
 感情の起伏が感じられない、完璧な言い回しだ。特に取り乱した様子も無く、服装には隙がない。ただ、さすがに両目には愁いを帯びた光が宿っている。それすらも、好ましく思えるなんて、私は重症だ。
「お悔やみ申し上げます。……そして、残念です。せっかく仲良くなりましたのに」
 私が言える、せめてもの「離れたくない」という意味をこめた言葉。これ以上は、いえない。ライナスは、私の言葉を流してためらいがちに言った。
「……もし、よろしければ……歩きませんか、少し。最後に、マロウを見ておきたいのです」
 私はいちもにも無く頷いた。いまの私にとって、逆らえないほど魅力的な誘いだった。

 日は、そろそろ海に沈もうとしていて、オレンジ色に染まっている。きらきらと光る水面が宝石のように美しい。私たちは、比較的人通りの少ない海岸沿いを歩いていた。ただ並んで歩いている私たちは、傍から見たら恋人同士に見えるだろうか。国を超えた恋人同士にみえたらいいのに。黙って並んで歩くのは、居心地の悪いことではなかった。優しい海風が肌をなで上げるのが気持ちいい。
 ライナスは、唐突に立ち止まって私をみつめた。
「こんなときに、こういうことを言うのは、不謹慎かも知れない」
 ライナスが目を泳がせて、少し困ったように呟いた。どうやら、ライナスは私に話したいことがあるようで、しきりに指先を動かし私のほうを見て、視線があうとそらして、と落ち着きがない。ライナスが珍しく緊張しているのがわかって、それが私にも伝染したのか、私も鼓動が早くなった。
 やがて、決心したのかライナスは深呼吸をして真剣な表情で私を見つめると、初めて会ったときのように地面に片膝をついて私を見上げた。そしてどんな魔法を使ったのか、右手の人差し指を親指で指を鳴らすとそこに一本の赤いバラの花が現れた。
「プリンセス・ルシーダ、貴女を愛しています。どうか、共にルクセリアに」
 そういって、私にバラの花を差し出した。
 あ……。
 わ、私を?

next